ゼルダの初期音源集

こんにちわ。今日も晴れて良い天気です。
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自宅保管の大量のDVDの中からラジオ体操第一を発掘したので毎日一回ラジオ体操してます。

コロナ禍の中、F.kosakaiはいつもと変わらず、
音楽についてつぶやいたり、音源についての考えを文章にしてUPしたりしてます。

是非是非!!!! この記事から彼の情報に飛んでください。
彼の話の音楽のジャンルは多岐にわたります。
音楽について知りたい方、是非に是非に!!!

 

今回の記事は、「ゼルダの初期音源集」の話です!

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いぬん堂からゼルダの初期音源集がリリースされたのと同時に、家を整理していたら家人が持っているゼルダのCDがまとめて発掘されたので、季節外れのゼルダ祭りとなった。

実は自分はゼルダのライブは1回しか見ていない。83年だったか、筑波大学で開催されたオールナイトコンサートのことだった。それもアンコール直前の曲(なんの曲か覚えていない。)と、アンコールで演奏されたストゥージズの「I wannna be Your Dog」の2曲だけ。「それ、ゼルダじゃないじゃん!」と笑われたが、自分は「ああ、ロックバンドというのはアンコールでとっさにこういう”名曲”が出てくるんだな。」と凄い衝撃を受けた。(2019.6.7の「Roof Top」のHPに掲載されたサヨコのインタビューではこの曲のカバーは「あれはアクシデンツやルースターズのメンバーと知り合うようになって、いわゆるめんたいロックのルーツと呼ばれる音楽を教えてもらって、よりロック的になってから唄うようになったんだと思います。」と回顧している。私より年下のサヨコも自分とあまり変わらなかった、ということか。)
その後、ジャンク・コネクションからのデビューEPとアスピリン・レコードから出たライブソノシート(両者ともこの音源集に収録。)はカセットにダビングしてはヘビロテで聞いていたが、ライブはこれ以外何故か行ったことがなかった。たぶんもっとオルタナティブな音楽方面に関心が移ったからだろう。メジャーデビュー盤以降は音源を熱心に追っかけることもなかった。
しばらく忘れていた頃、もうすでに末期でレゲエ路線に転向する直前かな?に偶然「C-Rock Work」を図書館で借りて聞いたら、「これ、いいじゃないか!」とマイブームが来訪。以降「D.R.O.P.」、「Shout,Sister Shout」、ライブ盤「Dancing Days」まではよく聞いた。そして、リアルタイムで92年に出た「LOVE LIVE LIFE」でレゲエ路線に転向したわけだけど、これが自分にはなじめなくてまた離れた。今回我が家にないことが分かった、ムーンライダース白井良明プロデュースの「空色帽子の日」は何故かあまり印象に残っていない。(今wikiで初めて知った、というか思い出したが、その後も1996年の活動停止まであと2枚アルバムを出していたんだな。)
今回、デビューEPとソノシートが収録されているということで購入して、初めて初期の彼女らのライブに接したわけだけど、その荒々しくパンクな演奏に結構驚いた。メジャーに移行しての諸作は「無垢な少女の衝動を洗練化した。」というのが主眼だったと思ってるけど、それ以前の演奏は予想していたものとは違っていた。4人(さすがにvoがケイでkeyがいた最初期の5人時代の音源は入っていなかったな。まぁ、当時の情報ではファンジン「Change2000」を主宰する小嶋サチホがカバー中心でバンドを始めた、という軽いスタンスだったと思うからやむを得ない気はするが。)とも演奏技術やボキャブラリーが決して豊かではないゆえに、そのアンサンブルがバラバラになってアヴァンギャルドに突入する寸前で一点踏みとどまりながら前進する様は正にパンクだった。そういった演奏の要として、マルのストリクトでパワフルなドラミングが重要な役割を果たしていたんだな、と感じた。(余談だが、マルはその後Dディに参加したことが知られているが、1983年に筑波のオルタナティヴバンド、スティグマのギタリスト、西久保好伸とのフリーキーなセッションを吉祥寺ぎゃてぃで行っているのを目撃したことがある。)
直感的な演奏という点ではイギリスのスリッツと通底しそうな点があるが、決定的に違うのが自らの「肉体」に対する眼差しだと思う。自らの裸体を晒した1stのジャケが象徴するように、スリッツは自らの肉体、セクシュアリティ、生理をもとに、「女だからこうしなきゃいけないなんて、馬鹿じゃねー?」というプリミティヴな感情表現を行った。
これに対してゼルダはこの音源集のジャケのように元祖ゴスロリとも言うべき肉体をふわふわと包むファッションを身に纏い、サヨコは「何にも面白いことがない。」と歌った。それはUKパンクが当時よく発言した「Boredom」という言葉を想起させるが、それはUKパンクのそれとは異なっていたのではないか?と思うのである。
パンク出現の1970年代中頃のUKは労働党政権下で経済停滞が起きていた。しかし、社会保障がそれなりに備わっていたので、様々な生活扶助を受けながら生活してゆくことはできた。当時のパンク/ニューウェイヴのミュージシャンにアートスクール出身が多いのは、就職のために学校に通学すると補助がもらえる、という制度があって、そのために簡単そうなアートスクールがよく選択された、というだけのことであって、決して美術志向のミュージシャンが多かったわけではない、という説明を読んだことがある。とりあえず生きてゆくことはできる。しかし、何かをして生きてゆく、という実感がない。そういった退廃感が当時のUKのBoredom、そしてそれ故の停滞、混乱がセックス・ピストルズが歌うAnarchyの正体なのである。ここらの初期パンクの抱え持った「退廃感」は当時のパンクの風俗をふんだんに取り入れたデレク・ジャーマンの映画「ジュビリー」で感じ取れるだろう。だが、1979年に総選挙でマーガレット・サッチャーが率いる保守党が総選挙で勝利し、社会保障の見直しが起こったことが転換点になったのではないか。というのも、社会保障の見直しは彼らの生活にとっては切実な課題であったと推測できる。そして、クラッシュの提起した「ロック・アゲインスト・レイシズム」運動、さらにはクラスのようなアナーコ・パンク、ディスチャージのようなハードコア・パンクのような社会問題へのコミットメント的思考へとパンクの思潮が流れ込んでいったのではないか。そこには、社会問題へのコミットメント、サルトルの言う「アンガジュマン」的な思考、行為を通して自らの「生」の実感を得るという側面があった、と思うのである。実際、パンク出現40周年の際に「パンクは確かにイギリスのアートを元気づけたが、それはサッチャー首相という敵の出現によるところが大きい。」という考察もあった。(一方の「退廃感」の表現を求める思潮がヴィサージのようなニュー・ロマンティックスに流れ込んだ、というのが自分の持論。)
振り返って、ゼルダ/サヨコの言う「なんにもすることがない。」というのはそういう感覚と同じ場所から出てきたのだろうか?当時のインタビューで彼女はよく埋立地(現在の豊洲あたり?)に自転車で出かけて時間を過ごしたと語っていた(と記憶している)。それはとりもなおさず、学校とかの社会になじめなくても十分”するべきこと”があったのではないか、と私は考える。この「埋立地」に対するこだわりは、「パンクだからBoredomと言わなければいけない。」というイデーの反映、ティーンエイジャー特有の自己肥大的な感情を表象しているのではないか?と思うのである。「なんだ、少女の夢想か。」と腐すのは違う。たぶんにこうしたもやもやとした感情を救い上げてくれることが、女性だけでない多くの日本の同世代の人々にとってUKのBoredomと同じぐらい切実な課題だったんじゃないか。切実な欲求という点ではスリッツやスージー&ザ・バンシーズと同じ地平にいたんだと思う。それこそがゼルダのバンドとしてのレゾン・デートルであり、多くの人に長く愛されてきた理由ではないのか。
しかし、それを変えてしまったのが「LOVE LIVE LIFE」だったと思う。この前にギタリストが石原富紀江から本村直美に代わっていたのも知らなかったが、自分が「LOVE LIVE LIFE」に対して感じた違和感はレゲエに路線変更したこと自体より、それまでのバンドの「少女の夢想」というレゾン・デートルを転換し、「音楽を演奏するバンド」へとシフトしたからではないか?と思ってる。レゲエ等のブラックミュージックへの傾倒はすでに「D.R.O.P.」から見られたし、イザバのパーカッションをフューチャーしたライブ盤「Dancing Days」の躍動感のある演奏は好きだ。しかし、その底に流れているのはやはり「少女の夢想」だったと思っている。さすがに20年ぶりに聞いた時にはちょっと赤面したが、先に挙げたインタビューでサヨコは「自分としてはちょっと恥ずかしいですけどね。こんなにも叫んでいて、こんなにもイライラとしていて(笑)。」と語っている。ここらの心境の変化は「夢見る少女じゃいられない。」というものだろうけど、やはりゼルダに世界にあまねく存在するワールドミュージックを期待するかというと、自分はノンと言わざるを得ない。そういった音楽を聴きたいなら、残念ながら他のアーティストを選択するから。やはり彼女らにはそうした「音楽」とは違う次元の音楽であることを期待したくなる。そこのギャップに自身で気づいたからこそ、彼女らは活動を停止し再結成も実現しないのではないか?と考えている。(今回の初期音源集のライナーノーツでも、サヨコが饒舌に思いを語っているのに対して、小嶋サチホは塩対応といえるぐらいの簡素なコメントになってる、というところに温度差が見えて興味深かった。できうれば最初期のケイ、ヨーコ、マルなどの他のメンバーのコメントも見てみたかったが。)
パンク/ニューウェイヴの最大の功績はロック・ミュージックの最大の功績は女性アーティストの輩出、ということにあると思う。それまでもジャニス・ジョプリンからスージー・クアトロやランナウェイズまで女性ロッカーというのは存在していたが、そこでは「男勝り」といった男性的”強さ”を持った者か、はたまた男性のマスコット的存在であることが多かった。しかし、パンク/ニューウェイヴにおいて、そういった方法論にとらわれない、自らの肉体、生理を根源とするアーティストが多く出てくるようになった。UKでは先ほども言及したスリッツ、スージー&バンシーズ、レインコーツなどが新しい道を開いた。そして日本でもフュー、ノン・バンド、ボーイズ・ボーイズ(女性だけのパンクバンド。PASSレコードからシングルを1枚残した。リーダーのクミーは後にミュータント・モンスター・ビーチパーティを結成し、日本のガレージシーンの立役者となった。隠れた重要バンドだと思う。)そしてこのゼルダなど多くの女性ロッカーが出現し、独自の自己表現を始めた。ゼルダの音楽に戦闘的な言葉はない(たぶん。全曲を聞いたわけではないので。)しかし、自らの感性に忠実に音楽表現を敢行しようとした(上記のインタビューでもメジャーデビューに当たってかなり歌詞を改変させられた、という証言をしている。)姿勢、それを怒りとか憎しみといった「男性的」な言葉を使わずに行うこと。パンク/ニューウェイヴという音楽が持つ従前の音楽とは違う反逆、革新性があるのだとしたら、そうした方法論こそが彼女らなりの「パンク」だったと思う。初期のこの荒々しい演奏とライブ盤「Dancing Days」での洗練され瑞々しい演奏は根っこには同じものが埋まっている埋立地の上にあるのだ、と思う。
その他、デヴューEPに収録されたピアノなどのコラージュ的ミックスが行われた「ソナタ815」が、ドアーズの「放牧地帯」のようなセットチェンジの曲かと思ったら、結構当時のライブのレパートリーだったということが理解できた、など、このゼルダの初期音源集はいろんなことを考えさせてくれる、自分にとっては興味深い1枚になった。日本のインディペンデントロックシーンの貴重な証言集だ。

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2020.04.20