美川師匠の新作ソロ「Cloud Carpet Boming」

6月19日 8:30 ·
もうすでにたくさんの人が記事をアップしているので今さらの感もあるが、美川師匠の新作ソロ「Cloud Carpet Boming」が届いた。ご本人からも言及があったが、出版者である坂口卓也氏のアートワークの素晴らしさにまず目を奪われる。すべて家庭用プリンターで出力されているが、これは経費節減ではなく、坂口氏のコンセプトに合致する印刷ができるのが家庭用プリンターによる出力だったという説明に驚かされる。しかし、自分はまずその音響の素晴しさに言及したい。
ノイズというのは「定型的な音階やりズムに音響が支配されることなく構築される音楽」と暫定的に定義してみると、それぞれの音楽、演奏の個性は細部によって決定される部分が大きいのではないか?と考えている。例えばメルツバウの音楽はまず基調となる音響が鳴り始め、やがて新たな流れを持った音響が次々出現してその基調音に絡んだり離れたりする、という展開を見せることが多い。その流れは並行したり、絡んだりしながらさらに新たな大きな流れを生んでゆく。それはたくさんの精子卵子が交接を行うことで新たな生命の誕生を迎えるという事象のアナロジー、つまりエロスの描写なんじゃないか、という風に考えている。だからメルツバウの音響は残虐なまでにエッジのきつい音なのに何か心を躍らせる蠕動=ビートを感じさせるのはそんな嗜好によるところが多いのではないか?と考えている。対して、故・岩崎昇平のユニット”モンド・ブリュイッツ”が1994年にリリースしたCD「Selected Noise Works 93-94」は中域が強調された幹のように“太い“ノイズが流れの中心に鎮座し、このノイズの密度や音圧が時間とともに変化することで音楽全体が構成されている。このためメルツバウのような交接によるビートの生成感は希薄であり、岩崎の強靭な精神に真正面から対峙するような感覚にとらわれる。
では、美川のノイズの構成はどうなっているのか?美川のソロ作は2014年にリリースされた「Bloody, Innocent And Strategic」に顕著だが、様々な方向から異質な音塊が同時に瀑布のように降ってくる、というケースが多いように思う。しかしそれらの音塊同士が絡んで交接するのではなく、空間の中に距離を持って配置されている。そして様々な流れを持ったノイズがそれぞれの距離を持って立ち現れたり消えたりを繰り返すことで、それは一つの風景を心象の中に形成してゆく。特に今作はリバーブが効果的に使用され、音塊の距離感の演出が実に絶妙なのである。一聴した印象は「龍安寺の石庭」の風景であった。ノイズの驟雨の中に佇む石や砂利によって構成された空間。それはこのアルバムの最後に収められた落合Soupでのライブテイクと他の自宅制作のテイクの感触の違いを味わえば一層理解しやすいだろう。聴覚を圧迫するような音響でありながら、描く心象風景によって聞く者の精神に安寧をもたらす音楽。思い起こせば、自分が参加する前の美川のソロプロジェクトとしてのインキャパの1989年リリースの1stアルバム「REPO」では強靭なノイズがディレイの海の中を彷徨する風景を描いており、こうした志向は彼の根っこに存在するものだとわかる。よく「純粋なノイズとは何か?」という設問をめぐってノイズアーティストやリスナーの人と議論してきたが、自分は美川のクリエイトするノイズこそ「純粋なノイズ」の理想的な在り方の一つだ、と。言葉を変えれば「純粋なノイズとは美川俊治、その人のことである。」ということができるだろう。そして、出版者の坂口氏も美川の純粋ノイズに呼応するような愛情に溢れたアートワークで装丁することで、この作品で「美川俊治のノイズ」というより「純粋ノイズである美川俊治そのも」刻み付けたかったのだ、と誰何するのである。
できればアートワーク込みのフルヴァージョンでお楽しいただきたいが、音源だけでも十分楽しめます。傑作です。
そういえば、故・渡邊浩一郎氏が製作し、昔美川師匠がよく使っていたマルコリネット(リコーダーにクラリネットのリードをつけたもの。白石民夫氏のサックスのような高音フリークトーンが出る。)を演奏している写真が収録されていたが、もう使わないのかしら?