葉山美術館で田中泯さんのダンスを観た

いつの間にか、すっかり、東京での生活とは変わってしまった。

ライブハウスにライブを観に行く事もできない。
エレキで音を出す事もできない。
それでも、表現を忘れた事は無い。

今は、ささやかながら、週一で、わらべうたを披露してる。
幼児達。かつて、彼らの心をつかむのは、とても難しかった。
今は、手ごたえ十分に、色々披露できるようになった。

私にとって、ライブは、音楽だけではなかった。

数度だけであるけど、舞踏と言うものを観た事がある。
しかし、昔の私は、とても未熟で、全く意味がわからなかった。
何か感じてはいたのだけど、言葉にする事ができなかった。

観客にとって、芸術は感じ取るものだ。そして個人個人の心にそれは響き渡る。
でも、個人個人の心が違うのだから、そこに共感を持つのは、同じ心の者同士なんであろう。
その上で、しかし、様々な人が、それぞれに、目撃した芸術の感想、評価を述べるのは、
人間の活動として、とても素晴らしい事なのだと思う。
そういった評判が、評判を呼び、人の心を強くとらえる、
その時代の芸術が、顕在化し、多くの人の知るところとなるんだろう。
だから、面白かったと思った時には、できるだけ、証拠を残したいと、そう思う。

この地に来て、もうすぐ人時間10年だ。いつの間にか東京は遠くになってしまった。
そして、東京に居た頃に経験したことや思った事も、とっくに私の夢の中にある。
ある部分は、押しつぶされ、ある部分は鮮やかな素晴らしい記憶と変化して私の中に咲いている。

昔、白州村の夏のキャンプに行った。地下鉄サリン事件が起きる前の話。
野外即興ライブと、キャンプが目的だった。
好きな演奏家が出演すると聞き、OL仲間を誘ったらOKが出たので、観に行ったのだ。
私はいつでも、興味を持った事にしかセンサーが動かない。
わざとじゃないんだけど、どうしても、そうなっちゃう。
だから、おそらく、東京から、ポツンと紛れ込んできた、完全に場違いな「チビッコOLと美人OLの二人組」を心配したと思われる現地スタッフさん達・・・と、仲良くなって、色々白州村のイベント内容について教えてもらえるまで、田中泯さんの事に気が付いてなかった。

当時の記憶はすでに朧。白州の夜のイベントで、なんかボヤんと光る石(?)と、変な動きの人。
それが私の田中泯さんだった。

それが、その残像が、にわかに私の中で再び踊り始めたのは、先々週。
なんと、先日の日曜日、田中泯さんは、葉山の美術館に来た。
当日は、偶然何の予定もはいらなかった。そして、とても良い天気になった。
だから、家族で観に行った。なにしろ、美術館の中庭で、無料のイベント。

美術館は、海の砂浜の隣にある。
だから、今回は海を聴きながら楽しめた。
10年以上の月日を超えて目撃した田中泯
私は、確認しなければならなかった。あのとてもとても昔観た、あのあれは、何だったのか。。。
そして何故、今、また観るチャンスを得る事ができたのか。確認しなければならなかった。







なんで、あの、ただ、茶色の錆色の、きったなぁいぃおっさんが、ある瞬間から、何かが宿った。
中庭で、彼に、何かが宿り、そして産まれた。
それまで、そのきったなぁいぃ薄汚れた服を脱ぎそうで脱がない動き。。。
それが、しばらく、壁にはりつき。まるで壁になりたがってるように観えた。
でも壁にはならなかった。それは、壁ではなかった。
そして、太陽の光をあびて、裸になった。羽化した。
それは、おそらく、神妖怪。
ヨリシロを求め、庭中を徘徊する。
壁にもなれず、空にもなれず、草にもなれず、樹木にもなれず、
つまり、ゆっくりと舞いあがったり、草のなかに沈んだり、地面になったり、流れ落ちて行ったり。。。

壁になろうとする時代を終えたそれは、草木になろうとして徘徊した。そして大地を流れ落ちて行った。
再び地に落ちたそれは、立ち上がり、樹木になろうとした。
一瞬似た姿になったように思ったが、はたして再びあたりを見回し探していた。

そして、鉄の人をみつけた。

海を望む錆びた鉄の人を観つけ、震えながら、ゆっくりと近づいて行き、いとおしげに抱き、一体化した。

完全に魂を移した後、人の体のそれは、彼になった。

なにやら、言っている(残念だけど、私の耳は、それは聞き取れなかった)

泯さんは、普通のおじさんに戻ってた。しかも「きったなぁいぃおっさん」じゃなくて、普通のおじさん。

あれは、多分、神妖怪だ。籠るところが欲しかったのだ。
地から産まれた、その小さな神妖怪が求めたのは、  海を観るヨリシロ。

あれは、あれも、海を守る神なのかもしれない。




これが、私の勝手な解釈。













とっても、きになったことが一つ。

錆びた鉄の人に向かう時、樹木になろうとするまえ、その歩みは、奇妙であった。
それは、高円寺の阿波踊りでみかけた、ひょっとこの足踏みにとても似ていた。
あれは。なぁに?