粋な音楽

昔東京のライブハウスで音楽を始めた頃、本屋では「バンドやろうぜ」とか、宝島とか、シティロードとか、フールズメイトのちっこい本が売ってた。テレビでは、イカ天とかいう、いろんな趣味でバンドやってるような人たちが出演する番組がやってた。

「音楽雑誌やテレビ、ライブハウスで出あう先駆者達の情報により、当時、すでに、後から来た世代という意識をもって、ライブ音楽に関わった私」にとって、スターリンも、ラフィンも、ウィラードも、はなたらしとか、ナゴムとか、トランスとか、時の葬列とか、もう、全部全部、全て、盛りの時期が過ぎていて、中古か売れ残りで手に入る情報誌でしか、その情報は入手できなかった。だから、リアルでは無かった。


だけども、あの頃、自分が観知ったライブハウスの光景は、私にとっては素晴らしいものだった。
そこには、いわゆる行き過ぎた(粋過ぎた)ロックが溢れかえってた。

時が過ぎ、東京のライブハウスも、焼けたり、閉店したり・・・次々店長が変わったり。
自分自身もライブ演奏ライブ企画から、ずいぶん遠のいてしまった。
此処しばらくは、音源どころか、ライブハウスですら、おたずねしてない。

色んなバンドがあって、色んなアーティストがいる。
かつて、粋すぎた人々。それも、時間と共に変化していく。
大きく変化するのもいれば、ゆっくりと変わってくものも。もちろん、全く変わらんものも。
そして、御客は、その変化ぶりをみて、おもしろいとか、おもしろくないとか言う。

だけど、御客がアーティストに対して、観るその姿は、やっぱり、その御客の幻想なんだろう。
大好きだったアーティストの、新しい作品に触れて、御目当てのアーティストが、自分の思いを裏切ったと感じても、それは仕方ないよ。
だって、それは、あなたの幻想の中の素晴らしいアーティストなんだ。

その人は、あなたの思い通りの人ではなくなってしまったかもしれないけど、
でも、あなたは、とても粋な人なんだろう?
だから、今、怒ってる。違うと言って怒ってる。

あなたは、あなたの心を大事にすべきだ。あなたにとっての粋な音を大事にすべきだ。

いつの日か、同じアーティストの作品を、やっぱり好きだと思える日がくるかもしれない。
今は、ただ、だまって通り過ぎればいい。
だって、そのアーティストが素晴らしい事に変わりはないし、
あなたの感性が素晴らしい事にも変わりは無いのだから。