ノイズとスカム

ノイズとスカム ノイズの称号 http://umizuha01.exblog.jp/23019866/

先日、2000年をとっくに過ぎてから「ノイズ」という紹介で、その分野の音楽を知った人とお話しする機会がありました。そうして、話してるうちに、「ノイズは何故エログロゲロと親和性あるのか?」というお話になりました。これは、驚きでした。なぜなら、私が、この領域に入ったとき(1995年頃)、それはノイズ音楽が誕生するための、ノイズを構成する要素の一つと感じていたからです。
自分は、「超常的な圧倒的なパワー」を具現しようとしてるのが、ノイズ音楽なんだと思うのです。
ところが、どうも、話を聞いてると、そういった事ではなく「音の素材としてのノイズ」として聞いてるんですね。つまりそれは、自然音「川のせせらぎ」を聞くのと同じ感じなのかな?と思いました。

素材としてのノイズと、音楽としてのノイズというのは、耳の中では近似値をとっていても、
心の中では、とても距離があるのです。



ノイズには、「無意味を表現してるのだ」という究極のセリフがあります。
しかし、それですら、「無意味を表現する」という意味があります。
意味を持った作為的な音楽、それがノイズです。

文化は、変化成長していく。だから、変化成長する文化を引き留める必要などない。
新しい文化を体験するとき、古い概念は、気にしなくてよい。

本当にそうでしょうか?

ノイズというのは、単なる音とは違う。

意味がある以上、それは表記されてなくても無視してはいけないのだと思います。

物言わぬからこそ、その意味を大事にしてもいいんじゃないかと思います。

せめて、ここに足跡を残すくらいは、してもいいと思いました。いづれ風化するとしても。

ノイズにクチ無シ。






‏@umijyuha (*‘ω‘ *)ノイズのことをあれこれ考えるのは、本当に楽しい



‏@umijyuha つまり。ノイズと言うとき、音そのもののタイプというよりも、演奏含めどう考えているかっていうところが、キモ。全くノイズ演奏者ではないオジンが、瞬時にものすごい匠の技のノイズを見せてくれたことだってある。千野さん。でもそれは、一瞬の演奏だった。それに、インプロの大演芸の一つだった。


‏@umijyuha http://umizuha.tumblr.com/post/140808401611/move-improvisation …ここにイッパイユーチューブ貼ってあるの。もしよかったら、観てね。見てね。(´・ω・`)


@umijyuha この「何が起きるかわからない」にはインプロも入ってくる。だから、「何が起きるかわからない」から、ノイズとはならない。おおきくインプロの中にノイズがはいるんだろうなぁって思う。そんなわけで・・・。



@umijyuha 物として観たとき「何がおきるかわからない」それがノイズと、そうじゃない物との線引きかな?って思う。音の種類としてノイジーなのと、全体を見た結果ノイズだってのは、演奏側には、とてもはっきりした区分けがある(と私は考えてる)。



‏@umijyuha それに私自身、なぜ私がノイズというジャンルに連れてこられたのか、いまだに謎。でも、あのときの、私をノイズという人たちの、何とも言えない不思議な目を信じって、扉を開けた。そして、今も、ノイズを愛してる。



@umijyuha 数学の授業で習ったじゃない。丸をいくつかかいて、交わったところもある、あの、種類分け遊び。普段は、いらないことと思いがちだけど、のちになって、音楽の時代検証したい人や、あたらしく音楽を知りたいと思ってる人にとっては、とても大事なこと。



@umijyuha 今も、私は、未熟だけど、轟音のランダムな音=ノイズとは思わなくなった。意味を内包して、初めて、「我々はノイズ」と名乗るのだろうし、リスナーも、その全容を見て、「ノイズ」の称号を与えるのだろう。他人に、なんでもかんでもノイズと言ってほしくないくらいには、私は、ノイズを愛してる。



‏@umijyuha 昔、デモテープをもって、音を演奏する場を求めて、走り回ってた頃の私は、今よりも、未熟で。数名の人に、「おまえはノイズだ」と断定されたとき、自分の音に相対すべきは、轟音のノイズと思っていた。



@umijyuha 太陽光のもとでは、液晶の画面が見えなくなってしまう。ちょっとまえ、陰になったところでは、キラキラと、たくさんの情報が得られた画面は、太陽にさらされたとたんに真っ白に。



@umijyuha 演奏者や、関係者が、意味づけすることで、宣伝しやすくする場合だってあるんだろうねぇ。スカムという言葉は、私にとって最も忌むべきことだけど、同時に、とても深く愛に満ち満ちた言葉でもある。きっと私が目指すものより、もっと懐深い、真の愛は、スカムにあるのかもしれないと思うこともある。



‏@umijyuha 音楽の意味。内包する意味のこともあるし、他人に訴える意味のこともある。「これは、無意味だ!」ということですら、ステージの上や、レコード盤の上では、意味を成す。



@umijyuha 音楽は光と似てて、観る人によって、その色合いが変わるんだろう。音楽のスペクトラム。インプロも、ノイズも、スカム、フリージャズや音響、様々の音の粒子は、光のようにお互いを産み出し、人はそれに意味づけをする。音に意味を持たせてしまうのは、人。意味を持って初めて、ジャンル分けできる。





どちらが先かということを私はしらないのだけども、ノイズとスカムは、同じくらいの時期に発生してると認知してる。
あるパフォーマンス集団の、果てることないノイズ音と、阿鼻叫喚的悪暗舞踏は、たくさんの人の心をつかんだ。当時は、情報伝達できるのは、口伝と、チラシ、そして、リリースされたレコード。ミニコミ。数年たっても鳴りやまぬ噂話に、カッコイイライブに憧れる人々は悶えた。
そういった情報にインスパイアされた人々は、のちに「いやがらせを極める=スカム文化」として、いまも成長を続けていると思う。
同時に、そのノイズ音楽にフォーカスした人々もいた。
それは、ノイズ文化としての進歩を重ねた。音楽(ノイズ)のみを純粋抽出することになったんだ。
それは、ノイズ音楽として成長していった。
スカムが最初究極のイヤガラセを極めていたのに、今は、究極の変態愛にも、その蝕指をのばしていくのと同様に、
ノイズも、最初のころ完全嫌音楽だった物が、意味を成すことで、様々な方向性の分化を示している。
表現の意味というものは、常に裏腹で、極めるほどに、逆の意味も極めてしまうのかと、微笑んでしまう。

人の心を重ねてこそのノイズでしょ。無意味ですら意味がある。
あなたの心を重ねたその音楽(ノイズ)を 私は、そっと愛でる。






で、実は、F.Kosakaiも記事を書いてる。こちらも、是非。

http://umizuha01.exblog.jp/23017316/
ノイズとスカム  無意味な純粋ノイズという事